「カホール・ラバン」エッセイ集
69.ミリヤムの叫び
冬こそアウシュビッツを訪れるべきだという。
夏はだめだ。爽やかな風が吹き、広い大地が緑に覆われ、鳥のさえずりが聞こえてくる。ここが本当に地上の地獄だったとは理解できない、と。
止まぬ雪、凍てつく大地、どんよりと重たい空・・・。
本当にこんな場所で?
パジャマのような薄いボロボロ服を着て、粗末な木靴を履き、極限までの栄養失調と死と隣り合わせの中で?
1日ではない。1週間ではない。何ヶ月も、何年も。いつ解放されるか分からぬままで?
2005年1月27日午後
ポーランド、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所。
降りしきる雪の中で、アウシュビッツ解放60周年記念式典が行われた。
イスラエル、ポーランド、ロシア、フランスをはじめとした各国首脳、宗教界代表者、そしてアウシュビッツ生存者らが参加し、式典は滞りなく行われた。
イスラエルのカツァブ大統領が演壇に立った時、なぜか彼の横に老婦人が立っていた。誰もがぶ厚い防寒着を着ている中で、彼女は淡いピンクのセーターしか着ていない。テレビで中継を見ていた私も、彼女は誰だろうと不思議に思いながらも、いつもの穏やかな口調とは一転したカツァブ大統領の力強いスピーチを聞いていた。
大統領のスピーチが終わったその時である。
横に立っていた老婦人が演壇に立ち、左手を上げてセーターを捲り上げて叫んだ(このために彼女は薄着をしていたようだ)。
ポーランド語。彼女が誰で、一体なにを言っているのか、即座には理解できなかった。
イスラエル放送では同時通訳付きで放送していたため、ポーランド語通訳が突然の彼女の行動に動揺しながらも部分的に訳した(通訳者は感極まったのか、言葉に詰まってしまい、ほとんど訳せなかった)。
なぜ!
なぜ、私の民族を殺したの?
なぜ、私の家族を全員殺したの?
なぜ、私たちを迫害したの?
なぜ、私たちを全滅させようとしたの?
私は16歳の時、ここに全裸にされて立っていた。
そして、左手にこんな番号を彫られた。
なぜ、なぜ!
女性はイスラエル人、ミリヤム・ヤハブ、78歳。
16歳でアウシュビッツに送られ、最も美しく最も多感な10代後半を、強制収容所で過ごした。解放の後にイスラエルに移民し、現在はベエル・シェバに住んでいる。
主催者側は、カツァブ大統領と一緒に登場したミリヤムに驚きながらも、大統領スピーチ中に横に立つ彼女を下がらせるわけにはいかず、さらに彼女の叫びを中断させることもしなかった。
仕組まれたものではない。彼女の心からの叫びであった。誰が止めることなど出来ただろう。
翌日、イスラエルに帰った彼女はベングリオン空港でインタビューを受けた。
「式典の前夜、ポーランドのホテルの部屋で、私は自分の一生を振り返っていました。幼い日の記憶、大切な家族、そして、イスラエルに来てから今に至るまで…、まるで長い映画のように。
そして頭の中に浮かんだの。『なぜ?』と。 なぜ、こんなことになってしまったのか。なぜ、ユダヤ民族が殺されたのか。ただじっと座っていることなんて出来なかった。あの場所で叫ばずにはいられなかった。
私はユダヤ人であることを誇りに思っています。これまでも、そしてこれからも」
彼女は降りしきる雪の中での絶叫を、こんな言葉で締めくくった。
今、私たちには国がある!
私は大統領と一緒に立っている!
私たちには軍隊もある!
私たちには国旗もある!
こんなことは、永久にさせないわ!
(2005年1月29日 無断転記および抜粋、リンク禁止)