「カホール・ラバン」エッセイ集


60.入植地について

「ようやくカホールは入植地問題について書いたらしい。どう考えているんだろう・・・」と興味を抱いてタイトルをクリックした方もいるだろう。


 東京に住む61歳の山田太郎の所に、弁護士と名乗る男から電話がかかってきた。
「山田太郎さんですね。あなたに相続権が発生しています」

 父は戦死し、母は空襲で亡くなった。肉親は誰もいないはずだ。ところが弁護士が、「あなたのお父さんである谷川吾作さんが半年前に亡くなられました」と言うのだ。
「タニガワゴサク? 冗談でしょう。両親は私が生まれてまもなく死んだんですよ」
 どんなに電話で話を聞いてもさっぱり分からない。だが昔、「死んだ父は九州出身だった」と聞いたような記憶がある。とにかく行ってみようと生まれてはじめてその土地に行き、弁護士に会った。

 太郎の父である谷川吾作は、中学校を卒業すると大阪に上京し、数年働いてからトミと結婚したが、結婚半年後に召集され戦地へ。それから太郎が生まれたのだが、まもなくしてトミの元に、吾作の戦死を告げる手紙が届いた。その後、空襲でトミも亡くなり、奇跡的に太郎だけが助かった。
 孤児となった太郎は、トミの遠縁の者の養子となって引き取られた。中学卒業と同時に家を出て、結婚もせずに一人で生きてきた。そして10年前にようやく東京に落ち着いた。
 ところが、吾作が戦死したというのは間違いで、彼は無事に九州の実家に帰ってきていた。だが吾作の実家では、トミが空襲で亡くなったという情報は届いていたものの、太郎の存在は知らなかった。吾作は一生独身で過ごしたため、役所で戸籍を取り寄せたことすらなかった。
 吾作の死後、弁護士が戸籍を遡って調べ、ようやく太郎の存在が出てきた。
 吾作には身寄りはなく、養子にとなった太郎だけが遺産相続人というわけだ。

 残されたのは、築60年以上という木造の古い家を含む敷地200坪。
 帰りの飛行機の中で、太郎はこの古い家をどうしようかと悩んだ。この年で九州に来てひとりでやっていけるだろうか。東京なら、かろうじて友達もいるし、住み慣れた都会暮らしも悪くはない。
 しかし、築20年以上の狭い公団住宅に帰ってみると、あらためてため息が出てきた。やはりあの広い土地の方がいい。あれは自分の土地なのだ。長年苦労して来たが、1度も会うことがなかった親父が、自分のために残してくれたのだ。
 ふとアイデアが浮かんだ。古い家を壊して、半分は住居に、半分はアパートにでもして老後の生活の足しにしようか・・・。

 翌週、九州に再び飛んだ。大手工務店に連絡すると、早速、営業マンがやってきた。ところが、営業マンが首を捻った。実際の面積と、所有している土地に相違がある。
 確かに200坪であるはずだ。営業マンがメジャーを持ってきて、「道路から何メートル」「奥行きが何メートル」と測って計算すると、15坪ほど足りないことに気が付いた。
 これはおかしい。含まれている私道の幅が違うのではないか、もしかしたらこの登記自体が間違っているのではないか・・・。
 それから営業マンがあれこれ調べて分かった結果、なんと隣家の塀がこちら側に入り込んでいて、15坪を含めて家を建てていることが分かった。

 隣家もやはり、かなり古くからこの土地に住んでいた。だが、今は世代が交代し、太郎と同年代の息子が住んでいる。
「10年ほど前に改築しましたが、私達が改築する前からこの線でしたよ」
 確かにそのようである。山田側の庭は、隣家の改築以前から全く変わっていないのだ。いつからこの線に塀が立ち、隣家が15坪の土地を所有しているのか。双方の家族が全員他界してしまった今となっては、まったく分からない。

 もしあなたが、山田太郎の立場だったらどうだろうか。

1.父親から引き継いだ土地には、明らかに200坪と書いてあり、これは私の土地である。隣家には塀も家も取り壊してほしい。
2.私の土地であることは間違いない。だが、隣家が既に建っているんだし、その分を買い取ってもらえばいい。
3.隣家に無償で譲ろう。これからこの地で余生を送るつもりだし、そのためにも隣家とは平和な関係を保ちたいから。

 さて、どうすれば一番いいのだろうか・・・。


 はぁ?
 この話は何だ?
 入植地問題と、この話の土地の問題がどう関係しているのか??
 まさか、「パレスチナ人は、ユダヤ人から土地を買え!」とでも言おうとしているのか???

 とんでもない。
 私が言いたいのは、たった一言。

『無関係な人間が口出しする権利はない』
 
 上で挙げた土地問題で考えれば一目瞭然である。
 これは、書類上の所有者である山田太郎と、長年気づかずに住んでいた隣家の問題である。それ以外の人間がああでもないこうでもないと口出しできない。
 大手工務店の営業マンが、「山田さん、この辺はどんどん開発されていきます。15坪っていうのは2DKが作れる広さなんです。4階建てにすれば家賃7万でも月28万の収入ですよ。何がなんでも取らなくちゃ」と言う権利があるか?
 近所の人が、「山田さん、15坪分は妥当な金額で売ったらどう? 15坪分がなくても、まだ185坪もあるんだから。そのくらい、どうでもいいじゃないの」と言う権利があるか?
 通行人が、「あなたは、親がいたことすら知らなかったじゃないか。親が九州出身だというだけで大阪で生まれたんだろ。今になって出てきて、土地の権利だなんだと、厚かましいにもほどがある。身寄りがなかった谷川さんは、隣りの人に世話になっていたんだぞ」と言うことができるか?
 あるいは、上であげた3人が隣家の人間に対して、「出て行け」とも「買い取れ」とも「そのまま居座れ」とも言えない。


 では、入植地問題の原点に戻ろう。

・・・ユダヤ人は、「約束の土地」を神から与えられた。だが、彼らがいなくなった後、そこにはアラブ人(パレスチナ人)住みついた。その後、聖書という書類上の所有者であるユダヤ人が戻ってきて、「これは我々の土地だ」と主張しはじめた・・・。

 どう読んでも、当事者である「ユダヤ人」と、住んでいたアラブ人(パレスチナ人)の問題である。
 ここに、非ユダヤ系の人間が口出しする権利はない。聖書にはユダヤ人に与えられたと書かれてあり、非ユダヤ人には関係ない。上の話でいえば、書類上の所有者が山田太郎であるのと同じである。
 また、「ユダヤ人」に相対するのは、「現在住んでいるアラブ人(パレスチナ人)」である。よって、「当該地に住んでいないアラブ人」ですらも意見する権利はない。上の問題では、「現在そこに住んでいる隣家」が該当するのであり、近所の人などの他人はおろか、隣家の兄弟や息子達であったとしても、別の所に住んでいるならば、土地問題に口を挟む権利はないのと同じだ。

 さて、どう決着をつけるか。
 山田太郎と隣家の問題ならば、弁護士でも通して、裁判所で話し合うことができる。
 だったら、パレスチナ問題は、『国際ナントカ裁判所』で決めることなのだろうか。
 それはできない。なぜなら宗教が絡んでいる。宗教に無理解の人間がこれを決定することはできない。もしも、「これはユダヤ人の土地ではない」というならば、それが明確に書かれている聖書と、ユダヤ教という宗教そのものを否定することになる。聖書を否定するとなったら、ユダヤ教だけの問題では済まなくなるのだ。

 ならばどうすればいいのか・・・。
 双方で話し合う。それだけだ。

 最後に、もう1度書こう。

『入植地問題は、ユダヤ人と在住パレスチナ人の問題である。無関係な人間が口出しする権利はない』
 
 私カホールは、ユダヤ人ではない(ついでにキリスト教徒でもイスラム教徒でもない)。国籍は日本で、現在住んでいるのはイスラエルである。入植地問題は、私には無関係である。だから、意見はない。

 わざわざパレスチナに来て抗議行動をしたり、フリージャーナリストとして正義を振りかざしたい人は、まずはユダヤ教徒に改宗するか、正式にパレスチナ国籍を取得してパレスチナに住むのが手順である。
 意見を言うのは、それからだ。


(2004年7月7日 無断転記・抜粋・リンク禁止)


*蛇足ながら、上記であげた相続問題はフィクションです。