「カホール・ラバン」エッセイ集


59.憎しみの構図


「ユダヤ人とアラブ人は仲が悪い」
「憎しみ合う2つの民族」

 新聞や書物には、必ずこういった言葉がある。また、それをそのまま引用して、ネット上の書き込みや自らのサイト運営をする人もいる。
 だが、イスラエルに住めば、それに対してハッキリと「NO」といえる。

 以前、イスラエル北部に住む友人を訪ねた時のこと。
 事前にロードマップで行き方や場所の確認していると、通過する随所にいくつもアラブ人の街や村があることに気がついた。地名だけを見ると、さながらアラブ人居住地のようである。北部の治安はいいとは聞いているが、友人に再度道路を電話で聞いた。
「ぜんぜん問題ないよ。検問もないし、走りやすい道路だから大丈夫」

 実際に車で行くと、車幅もあり、確かに走りやすい。車窓からは、アラブ独特のアーチや飾り窓をあしらった家並みが見え、樹齢200年以上はあるだろうと思われるオリーブ畑が点々としている。また、アラブ圏の国に来たのかと錯覚を起こしたのは、車窓から見えるアラビア語だけで書かれた大きな広告の看板だった。

 友人のキブツに数日滞在して、土曜日に帰る予定だった。その前日の夜に、「プリンターのインクを買うのを忘れていた」と私がつぶやくように言ったら、「カルミエルの手前のショッピングセンターなら土曜でも開いているから、買物が出来るよ。せっかくだから、その近くのドルーズ村でお昼でも食べようか」と友人が言う。
 キブツから約1時間高速で走った後、狭い山道を上り、あるドルーズ村に入った。随所にドルーズの旗があり、さらにレバノン国旗も。
 先を走る友人の車が停車し、小奇麗な食堂に入った。

「この辺りも、ドルーズなの?」
「ドルーズだけじゃない。キリスト教徒も2割位いるらしいけど、とりあえずドルーズ村で通っているんだ」
「ドルーズって言ったら、ハイファのカルメル山周辺だと思ってた」
「この辺りにも多いみたいだね。ここからツファットに向かっていく途中にもドルーズ村があるし」
「で、すぐ下の街はイスラムだったよね」
「もともとローマ時代にはユダヤ人がいて、その跡も残っているんだけど、十字軍時代にアラブ系キリスト教徒が住みついて、ドルーズが定着したのはここ200年位らしいよ」
「このそばにあるユダヤ系のモシャブは、独立後にできたんでしょ?」
「うん。でも、ドルーズが定着する前から、若干のユダヤ人もこの周辺には住んでいたらしい」

 食事の後で、この村で作っているというオリーブ油せっけんの製造所を見学し、お土産に数点求めた。
 その後、木陰に座ってアイスクリームを食べながら、友人と話を続けた。

「北部のキブツやモシャブも、自分達のキブツなどでとれたオリーブの搾油は、ドルーズやアラブの村の搾油所に頼んでいるんだ。オリーブ作りはアラブとドルーズの専売みたいになっているから、キブツの農産物の品目としてではなく自家消費が目的だけどね。だから搾油所を作るよりも彼らに頼んだ方が安上がりってわけ」
「ユダヤ人は建国前の長い期間、オリーブの育て方をアラブ人に習ったっていう話があるよね?」
「オリーブだけじゃないよ。農業、土の性質、気候など、この土地についてのあらゆることをユダヤ人は彼らに習っている。その代わり、ユダヤ人は水を引き、電気を作り、街を作って交通網を開発し、彼らの生活のレベルアップに役立てたし、できたばかりのユダヤ人医療機関にも同じように受診させた。そういったことが、北部ではアラブ・ドルーズ系の支持を得て、独立戦争の時にどんなにエジプトやシリアなどが扇動しても彼らは出て行かなかったし、食糧を分けてユダヤ人を支援した」
「ドルーズは、偵察隊としても働いたという記録も残っているよね」
「ドルーズにとって、『敵の敵は味方』っていう考えがあったっていうのは否めないね」

 友人と別れ、私は勧められたショッピングセンターに立ち寄った。確かに、土曜だというのに、PCショップだけではなく、イスラエル全国網で展開している服飾店、DIYショップ、家具店、ドラッグストア等、すべてオープンしている。
 どうせ来たのだからと、周辺の店にもブラブラ入ってみた。すると、店員にアラブ・ドルーズ系が多いことにも気がついた。なるほど。土曜日に経営するのなら、ユダヤ系よりもアラブ・ドルーズ系の方がいい。客層を見ても、明らかにアラブ・ドルーズ系と分かる人もかなりいる。

 日本でも有名な親パレスチナ系ジャーナリストは、自身の著作の中で
「イスラエル全土には、あちらこちらにアラブ人の町や村が存在する。元々住んでいるアラブ系が無数にいたにもかかわらず、ユダヤ人が勝手に入って国を作った」
 というようなことを書いていたと記憶している。
 いかにも、『イスラエルを知らない・歴史を全く理解できていない人』が書いた文章である。

 もともと彼らがいたのは事実だ。しかし、ユダヤ人の場合、建国前は多くの土地を彼らから分譲してもらっている。建国後においても、土地の所有者を明確にし、問題なしと認められた所に街やキブツ、モシャブなどを作ってきたのだ。
 また、アラブ系とユダヤ系の対立についてもいろいろと書かれるが、建国以来イスラエル領となっている土地において、アラブ系とユダヤ系の間で、「民族に起因する大きな事件」が起きた記録がない。
 すなわち、対立はあくまでも「パレスチナ」であり、それを「アラブ・イスラム系」と一緒に見ることはできない。一緒に見ることは危険であり、アラブ・イスラム系の人達に対して失礼なことだ。
 これは、イスラエルの内部を見れば明らかだ。以前のエッセイで触れたが、近年、一部のアラブ村では、若者の思想傾倒やパレスチナ系の侵入により、反ユダヤ的な動きがあったこともあるが、一過性のものであって、現在においてはその心配がほとんどなくなっている。

 港湾都市ハイファには、建国以前から大規模な精油所がある。歴史的に重要な要塞として役割を果たしてきたアッコーには、イスラエル海軍の基地がある。
 もしも、世界が言うように「ユダヤ系」と「アラブ・イスラム系」とが対立しているのならば、こういった重要施設をアラブ系人口が多い街に建設するわけがない!

 憎しみは、どこから来るのだろうか、と車を南に走らせながら考えた。

 憎しみは、誰かに植え付けられ、まわりによって作られる。
「ユダヤ人は悪い奴等だ。憎め・殺せ」と教え込まれれば、誰だってユダヤ人を憎むようになる。こうして植え付けられた憎しみによって、相手を完全に否定するようになる。
 日本人同士だってそうだろう。子供は隣家のおばちゃんがどういう人か知らなくても、その母親が「隣りのおばちゃんはイヤな人ね。ママは大嫌いなの」といえば、子供の頭の中では、「大好きなママが、大嫌いなおばちゃん。ボクもキライ」という思想が芽生える。どんなに隣りのおばちゃんがいい人で、いつもニコニコしていても、「ママがキライなイヤなおばちゃん」という思想は消えず、やがてその気持ちが憎しみへと進むかもしれない。
 パレスチナだけではない。アラブ周辺国においても、そして今ではヨーロッパにおいても、「世界がキライだというユダヤ人は僕もキライ」と、一方的な思想がはびこっている。
 人を好きになることは大変だが、嫌いになることはたやすい。歴史も宗教も何も知らずに、「ユダヤ人がキライ」という思想だけが先走りする。理由など何もない。皆が言っているからユダヤ人・イスラエルがキライ。皆が言っているから、アラブ・イスラムとユダヤは、いがみ合い憎しみ合う民族なのだ。

 そんなに、「アラブvsイスラエル」「イスラムvsユダヤ」の憎しみ合う構図を押し付けたいのだろうか。

 私が書いたこのエッセイが信用できない人は、イスラエルに来て、アラブ・ドルーズ・ベドゥイン系イスラエル人に聞くといい。
「あなたは、ユダヤ人のことを憎んでいますか? 1人でも多くのユダヤ人を殺したいと思っていますか? ユダヤ人を地中海に突き落として、アラブ国家を築きたいですか?」

 聞かれた誰もが言うだろう。たぶん、怒り気味で。

「私は、パレスチナ人ではない!」


(2004年6月28日 無断転記及び抜粋禁止)

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