「カホール・ラバン」エッセイ集


58.平和研究所?

 ある平和研究所が、イスラエル・パレスチナに関する会議を開催した、というニュースを読んだ。
 詳しい内容は知らない。だが、その要旨を読んだだけで、一体どのようなことをこの研究所が考え、参加者が賛同したかが推測できる。
 彼らが話し合った内容は、「イスラエルにおけるパレスチナ人の現実と人権」「難民問題」「国際司法裁判所の役割」だそうだ。

「イスラエルにおけるパレスチナ人の現実と人権」・・・。
 どうせ、「二級市民扱い」「自由な行動を制御されている」なんていうお決まりの内容を並べ、参加者は「フムフム。パレスチナ人は可哀相だ。イスラエルはパレスチナ人の人権を侵害している」と同調したのだろう。
 それならば、「パレスチナにおけるイスラエル人(ユダヤ人)の現実と人権」はどうだろうか。

「問題:イスラエル人が10人います。我々の英雄による殉教攻撃で5人が死亡、3人が負傷しました。あと何人殺さなければなりませんか? (正解=5人)」
「問題:イスラム教徒・ユダヤ人・ジハード・殺害、これらの言葉を使って文章を作りなさい (正解の例=ジハードとはイスラム教徒が全てのユダヤ人を殺害することである)」

 上記はパレスチナの小学校の義務教育の教科書からの抜粋である。国連はこの教育を黙認し、国連が指導している難民キャンプの学校でも、公然とこの教科書が使用されている。
 パレスチナでは、「イスラエル人を殺せ・ユダヤ人を殺せ」と教えており、自治政府が主導となって殺人テロや襲撃を実行している。これについては、誰も何も考えないのだろうか?
 パレスチナでは、イスラエル人の人権を認めていない。これは紛れもない事実なのだ。
 
 憎悪は、殺害を正当化する理由にはならない。
 第一、イスラエル領内において、嫌いだからという理由でイスラエル人の手によってパレスチナ人が殺されることはないし、個人的な怨恨からそのような事件が起きたとしても、殺人犯として情状酌量の余地なく裁かれる。
 ところが、パレスチナがイスラエル人を殺したら、英雄である。それにもしも、勇気あるパレスチナ人が、「イスラエル人を殺してはならない!」などと声高に叫ぼうものなら、市中引き摺り回し・集団暴行の上に殺される。これがパレスチナ人の現実である。

 それこそ、私のような非ユダヤ系でイスラエルに住む日本人であっても危険性は高い。パレスチナは親日派が多いとは言っても、私は在イスラエル日本大使館で更新したパスポートを持ち、その中にはイスラエルのビザを更新した記録がベタベタと押してあり、手荷物にはイスラエルのIDカードがある。私のような「親イスラエルの日本人」が、パレスチナに足を踏み入れようものなら(パレスチナに入れるかどうかも分からないが)、パレスチナ治安当局によって身柄を拘束されることは間違いない。

 住んだことがない人間による現地調査はあまりにも危険だ。
 ほとんどの機関は、パレスチナの一般人を対象にして調査をし、その上でイスラエルの親パレスチナ団体に聞き込み、調査を裏付ける。普通に考えても、こんないい加減な調査はない。 しかも殆どの場合、彼らはパレスチナの調査に重点を置き、彼らの言葉を全面的に信じ込む。
 イスラエルが医療面や生活支援での全面的サポートをしていることや、イスラエル国籍・在住権を持つパレスチナ人がユダヤ系と同等の権利を有するということは、一切評価しない。
 エルサレムの病院に働くパレスチナ人医師・看護婦の存在は何なのか? イスラエルの病院で治療を受けているパレスチナ人とはどういう存在か? 無差別テロが発生したエルサレムのピザレストランの従業員にはパレスチナ人もいたということは、何を意味しているのか? 毎日毎日、1万数千人のパレスチナ人労働者を受け入れている事実は評価しているのか? それから、パレスチナ人経営者でパレスチナ人とイスラエル人を雇い、イスラエルを市場として成功している企業にも聞込み調査をしたのか・・・?
 ああ、いちいち上げたらきりがない。 

 ・・・ある小学校のクラスで、「B君に殴られました」とAちゃんが先生に訴えた。先生はB君にではなく、Aちゃんと親しいCさんに事情を聞き、いきなり学級会で、「B君、Aちゃんに謝りなさい。皆が君がAちゃんを殴ったと言っている」と悪者扱いをする。
 実は、Aちゃんは外見はおとなしいがボス的存在で先生達のお気に入り。クラスの皆はAちゃんが怖くて反論しないことから、Cさんの意見だけで「皆が言っている」と断定。それにB君は転校生でいつも孤立している。「いつ、どこで、どう殴ったか。なぜ殴ったか。殴ったのは本当にB君か?」・・・そんなことは確認しない。だって、『殴られた本人』と『皆』がB君が殴ったと言っているから。
 これが、国際社会におけるイスラエルの状況である。

 当人に聞くことは大事だ。だが、それに基づいて、反対側にいる当人に聞かなければ、単なるウワサに過ぎない。また、裏を取るにしても、それぞれとは関係のない第三者に聞かなければ意味を成さない。これは小学生だって分かることだろう。しかし、誰が考えても分かるこの常識を、世界中の誰もが今、イスラエル・パレスチナ問題においては考えない。
 洗脳教育を施されたパレスチナ人が、イスラエル人に対してどのような感情を持っているか、また、パレスチナにおいての思想統制や言論の不自由を考慮せずに、「パレスチナ人がこう言ったから」と鵜呑みにするだけの聞き込み調査。さらに、パレスチナと連携して密接に動いている「イスラエル内の親パレスチナ団体」に聞き込み調査をするというお粗末さ。

 難民問題にしても同様である。
 歴史上のパレスチナ難民問題に関しては以前にも書いたことがあるため、ここでは繰り返さないが、問題は、パレスチナ人だけではない。同時期にユダヤ人もまた難民と化したのであり、また今なお、ユダヤ人の危機は継続している。
 例えば、1948年の独立戦争後、なぜ北アフリカなどに住んでいたユダヤ人が祖国を離れなければならなかったのか? イスラエルは帰還法に基づいて彼らを受け入れたが、追い出されたユダヤ人も、同じユダヤの同胞として受け入れたイスラエルも、国連からの補償や援助などは一切受けていない。それなのに、周辺国に唆されて勝手に出ていったパレスチナ人が、未だに世界中からの援助を受け続けているのはなぜか? 同じイスラムの同胞でありながら、パレスチナ難民を50年以上も国連に任せっきりの周辺国についてはどう思うのか?
 1978年、不自由のない生活をしていたユダヤ系イラン人が、イスラム革命前のイラン国内の動乱から、持てるだけの荷物を持って生まれ育った故郷を離れたのはなぜだったのか? 
 そして近年、ヨーロッパでの反ユダヤ主義が進行・表面化した結果、ヨーロッパ在住の多くのユダヤ人がイスラエルに移民申請をし、現にイスラエルに移住していることにも注目すべきである。
 イスラエルには「帰還法」がある。全てのユダヤ人は、望むならばイスラエルに移住することができるという法律である。だが、なぜかこれを、「ユダヤ人はイスラエルに住めばよい」と解釈している人があまりにも多い。だから、「ユダヤ人は出ていけ!」という反ユダヤ主義が蔓延し、多くの被害者が出ているのだ。これも広義の意味での難民に相当すると思うがいかがだろうか。

 パレスチナの難民問題を考える際に最も重要なポイントは、難民であるパレスチナ人が、難民というポジションを固持したがり、イスラエルに帰還することを望んでいないというところである。難民であれば、働かずして無制限の給付を得られるからだ。
 近年の調査においては、もし難民のステイタスを手放さなければならなくなったとしても、彼らは自分がいる場所が属している国の国籍か、新パレスチナ国家の国籍を取ることを望んでおり、イスラエルに帰還したいと考えているのは1割以下だという(この1割だって、本当にイスラエルに住みたいと考えているとは思えない)。
 それともう一つ。難民問題を考えるならば、パレスチナの難民キャンプは、国連が黙認を続けた結果、武器工場やテロリストのアジトとなり、もはや手の付けようがないということも、考えなければならない。

 失笑するのは、この平和研究所が彼らの研究調査を踏まえた上で、「国際司法裁判所」でパレスチナ問題についてを話し合うことを切望しているのだ!
 一体、何をどう、司法的解決するのか? 誰がどう裁くのか? 呆れてモノも言えなくなる。
 一方的に、「パレスチナは可哀相なんだ」と決め付け、自分達が決めたその方針を裏付けるように調べるだけ。「私達こそが平和問題を解決するエキスパートだ」とでも思い込んでいるのではないか。これでは、ネットの掲示板上でパレスチナ問題を議論している人達と何ら変わりがない。

 誰のために、問題を解決するつもりなのか。誰のために、日夜研究を続けているのか?
 平和研究を仕事とし、自らをプロフェッショナルだと考えているのならば、双方の立場に立って、本当の姿を見ることから始めるべきである。
 

(2004年6月20日 無断転記及び抜粋禁止)



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