「カホール・ラバン」エッセイ集


47.貧困??

 今日の新聞を読んで、吹き出しそうになった。
 UNWRAは、さらに2億ドルの援助を要求している。パレスチナは貧困らしい。
 本当にパレスチナはそんなに貧しいのか? いや、パレスチナだけがそんなに貧しいのか?

 十数年前、エジプトに旅行した時のこと。
 憧れのピラミッド、ルクソールの王家の墓、アスワン・・・。見るもの全てが素晴らしかった。
 だが、私の目に焼き付き、今でも忘れられないのは、行く先々で出会う貧困者だった。
 ルクソールでは、オムツ代わりにビニール袋をお尻に巻いている1歳くらいの子供と、ボロボロのスカーフを被っている少女を見た(母親?姉?)。アスワンで足がなく目が見えない子供が空缶を前に道路に寝ていた。その向こうに座る咥えタバコの乞食男は両手がなかった。
 カイロ市内で、ティッシュを売る汚れた顔の子供を見た。日本なら若い学生バイトが無料で配っているものである。信号で停まったバスの車窓に「買ってくれ」と萎れた花を持ってくる女がいた。その瞬間、信号は青になり、その女はクラクションを鳴らされながら車の波をすり抜けて道路を渡っていった・・・。

 ところが、どの「エジプト旅行記」を読んでも、《彼ら》は存在しない。書かれているのは遺跡の話と、パピルス店でボラれそうになった話と、ボールペンをあげたら喜ばれたという話だけ。誰もが絶対に目にしているはずの貧困者は、どのエジプト旅行記にも存在しない。
 そして、こういった貧困者は、それ以外のアラブ諸国でも当然のように存在する。もちろん、石油という資源に恵まれ、近代的で裕福そうな湾岸諸国でもまったく同じことである。

 少し歴史をさかのぼってみよう。 
 1948年、エジプト領ガザ−−−。
 イスラエル南部に住んでいたアラブ人は、「ユダヤ人に殺される」とガザに逃げ込んだ。ガザ回廊と呼ばれる細長い海岸沿いの地域に当時住んでいたのは9万人。そこに20万人が押し寄せたのだから、手の付けられない状態になってしまった。
 イスラエルは、この悲惨な状況を目の当たりにし、1949年7月にガザ併合を申し出たが、エジプトが却下した。翌月、せめて10万人を受け入れようと申し出たが、アラブ連盟は却下した。さらにイスラエルは、アラブ難民が放棄した土地の買い上げを国連に持ち込んだが、やはり却下された。

 国連が介入し、難民キャンプというテント群を作り、なんとか事態は収拾した。いや、したように見えた。
 けれども、元々ガザ地域に住んでいたアラブ人やエジプト人にしたら、この難民は飛んでもない存在に化していた。
 とにかく奴らには金があるのだ。いくらでも国連が金や食糧を持ってくる。難民テントは、コンクリート製の住宅地になり、生活に必要な物資も整った。学校もある。病院もある。難民キャンプという名でフェンスで囲われたその場所にないのは、「国籍」だけである。
 この無国籍アラブ人は、一般のエジプト人に比べたら明らかに「金持ち」なのだ。ここで貧富のバランスがガタっと崩れる。貧乏であるはずの難民が、「難民成金」になってしまった。エジプト政府にしても、難民がいるのはプロパガンダにはもってこいだが、一般エジプト人の羨望と嫉妬の声は高まるばかり。
「働かずして金のある生活、なんてうらやましいんだろう。俺たちの方がよほど貧しいのに・・・!」
 もちろん、難民にはそれなりの苦しさはある。いくら生活に困らないと言っても、いつまでそれが保障されるか分からない。将来の不安だってある。為政者が代わったらどうなるか分からない・・・。戦争が起きるたびに、彼らの不安は増大した。

 その不安が現実となった。
 1979年、イスラエル・エジプト国交正常化。サダト大統領は、ガザを捨てた。和平を結べばガザを併合することに意味がない。いや、ガザを併合するがゆえの問題の方が多すぎる。もしガザを併合したら、あの「難民たち」を国民にしなければならない。そうなるともはや彼らは難民ではなくなり、一切の面倒を見るはめになる。さらにエジプト国民とのバランスが崩れるだろう・・・。
 ガザはイスラエル領とはなったが、無政府状態は続いた。「国連管理」というシュガーコートで包まれた難民キャンプは、イスラエルが介入できないため、テロや密輸の温床となっていった。家族が増え、難民2世・3世の時代となった。
 ヨルダンも同じだった。以前のエッセイでも触れたことであるので繰り返さないが、ヨルダンがイスラエルとの和平で西岸地区を放棄した理由は同じようなものである。いや、ヨルダンの方がもっと問題が深刻だった。

 世界のどの国にも貧困層はいる。そしてアラブ諸国には、必ずといっていいほど、出身や経済格差による階級社会が存在する。もちろん、パレスチナにもである。
 前回のエッセイで書いたが、パレスチナにも富裕な人はそれなりにいる。ベンツに乗って高級ショップで買物をした後、レストランで食事をし、子供はヨーロッパの全寮制の学校に留学中で、毎年のように海外旅行できる人もいる。もちろん、そこまで富裕ではなくても、普通に働き学校に通い、家を建てて手頃な中古車を買い、日常生活を送る人がいる。
「そんなのはほんの一握りだろう」という人はいるだろう。そうだ。ほんの一握りである。
 パレスチナだけでなく、どのアラブ諸国でも。
 ところが、なぜかパレスチナの貧困だけが引き合いに出される。パレスチナの貧困者だけに国連の援助が出て、他の国々の貧困者は見捨てられている。エジプトやヨルダンの一般市民が、パレスチナ難民を嫉妬の目で見た理由がここにある。

 貧しいパレスチナと比較するべきなのは、近隣のアラブ諸国である。
 たとえば、2000年の時点においての各国のGNPはこんな具合である。

 シリア  −$1070
 エジプト −$1432
 ヨルダン −$1565
 パレスチナ−$1574
 トルコ  −$3097
 レバノン −$3580 

 ところが、そこで必ずといっていいほど、パレスチナの経済状態をイスラエルと比較する。けれども何故に、法律も政治方針も宗教も民族性も違うイスラエルと比較しなければならないのか? そして、その貧しさの理由をイスラエルに追求するのはなぜなのか? さらに、貧困問題を語る時に「イスラエルの入植者」が引き合いに出されることもあるが、「入植問題」と「50年以上も続くパレスチナの貧困」とは、どんな関係があるのか。
 パレスチナで仕事がないのは、イスラエルのせいではない。あれだけの世界的援助を受けながら、産業振興や経済発展に力を入れないからである。
 これでは、「日本に比べて、北朝鮮は貧しい」と言うようなものである。為政者がいるのだから、その者の責任を追求するべきだ。 
 それでも「パレスチナは貧困で可哀相」という人は、よほど世界が狭いのではないだろうか。

 それにしても、2億ドル。日本はどれだけ出資するのだろうか・・・。


(2003年12月19日 無断転記および抜粋禁止)


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