「カホール・ラバン」エッセイ集


45.ジュネーブ合意
 
 12月1日。イスラエルの左派党員とパレスチナの元閣僚との間で、非常に異常な合意が交わされた。
「ジュネーブ合意」。

 イスラエル側の譲歩は、「エルサレムを分割」「東エルサレムを首都とするパレスチナ国家樹立を認める」「パレスチナ自治区(西岸・ガザ)のユダヤ人入植地から撤収」など。
 パレスチナ側の譲歩は、「武装組織の武装解除」「難民帰還権の譲歩」などである。イスラエル側の譲歩から比べると、「そんなこと当たり前じゃないか」と思われることばかりなのだが、まぁ、それは別の機会にでも。

 この合意に関して、バラク元首相は一蹴した。
「今から3年前、首相だった私は、それと全く同じ事をアラファトに提案した。しかしアラファトは、私の提案を全面的に却下した。それから数ヶ月後、パレスチナ人の暴動が始まり、イスラエル国内では私の責任を追及する声が高まって、私は辞任したんだ。今さら、なにを言っているんだ」

 ジュネーブ合意の最高責任者は、イスラエル側のヨシ・ベイリン氏と、パレスチナ側のヤセル・アベド・ラボ氏。
 ベイリン氏は、長年労働党に属していたが、昨年の選挙の直前に超左派政党メレツに移籍。メレツ党首ヨシ・サリード氏との協調を全面的に訴えた。ところが選挙でメレツが大敗したために、彼は議席を失った。尤も、そのまま労働党に残ったとしても、この時の選挙では労働も大敗したから、まず議席は無理だっただろう。
 ヤセル・アベド・ラボ氏は、常にアラファトの片腕として彼に師事し、アラファトとパレスチナの正当性を訴える非常に優秀なスポークスマンだった。その彼が、何故にイスラエルとの合意をサポートするようになったのか、真偽は分からない。
 ベイリン氏の横には、あの「自称・平和の使者」である労働党元党首、アムラム・ミツナ氏がいる。彼の存在が労働党の大敗を決定し、さらに独断で労働党の内閣入りを拒絶したために、イスラエル国民の大半が望んでいた「非宗教内閣(宗教政党抜きの内閣)」の実現が消えたのは周知の事実である。党内部での立場がなくなったために、新しい居場所を探したというわけか。
 アメリカのカーター元大統領が同席し、「平和のための合意」というムードをいやがうえにも盛り立て、世界各国のメディアが集結し、その実況中継が行われた。なんとも皮肉で、滑稽なステージだった。
 また、ジュネーブ合意の3週間ほど前、イスラエル側の代表者は、イスラエルの全家庭に対して、「ジュネーブ合意について」という冊子を配布した。内容についてはともかく、イスラエル市民は驚いた。「一体、どれだけの金を費やし、どこからその金が出ているのか」。何百万部という冊子だけではない。当日の華々しい式典や、その旅費。そんなに簡単に捻出できるものではない。

 イスラエルのトミー・ラピード法務大臣は、この合意について、非常に簡潔な言葉で表現した。
「これは、ショー・ビジネスである」

 イスラエルは法治国家である。
 イスラエルには「イスラエル国家」の法律があり、この法律に基づき、全てのことが決定遂行されていく。
 イスラエルの法律は、基本的には、宗教法=国家の法律としていない。また、法治国家である以上、一部の者の独裁など許されない。たとえ大統領や首相であっても、その発言や行動について、裁判所の審判を受け、全ての決定権は、合法的に選出された議員の集う国会で決定される。
 ジュネーブ合意は、法律的に見れば全く無効なのだが、1999年〜2001年には法務大臣を務めたヨシ・ベイリン氏が、それについてどう感じているのか?
  
 今回のジュネーブ合意の進め方は、10年前のオスロ合意とほとんど同じである。
 オスロ合意は、国会での審議や閣議を通さず、時の外相であったシモン・ペレス氏が独断で話を進め、彼が故ラビン首相を説得してどんどん決定されていった。すべてを御膳立てしてから、「じゃ、こういう合意をやりますから」と国に持ち掛けたから事態は混乱。右派が怒ったものの、遂行を促す海外からのプレッシャーには耐えられず、合意完成。
 違う点は、合意を進めたのが、現役の閣僚でも与党議員でもないということだけだ。 

 まだピンとこない人がいるかもしれないから、分かり易いたとえで説明しよう。

 日本の左翼的思想の強いA党とB党の議員の一部が、北朝鮮との和平を目指して、国会も閣議も通さず、全く独自の行動で双方歩み寄りの譲歩案を完成させ、北朝鮮の政府要人と「合意」した。
 日本側の譲歩点は、「拉致問題はこれ以上追求しないし、その賠償も求めない」「北朝鮮と国交を結び、船の寄港・停泊を無制限に許し、北朝鮮人の日本訪問を他の外国人同等に認める」・・・。
 北朝鮮側の譲歩は、「今後は日本人を拉致しない。拉致した日本人全員を無条件で返す」「日本に向けているミサイルを撤去する」・・・。
 スイスという、それぞれの国とは全く関係ない国において、世界中のマスコミを呼んで大規模な合意式。アメリカの元首相も立ち会い、世界は「和解の一歩」と賞賛。アメリカだけではなくEU諸国やロシアといった大国もその合意に賛同する。
 
 ちょっと待て。北朝鮮との合意なんて政府は聞いていない、と驚く日本の首相と与党の閣僚たち。
「国家間の対話は、あくまでも政府を主体とすべきである」と、中道の各政党からも大ブーイング。

 ところが世界のメディアは、「対応を渋る日本政府。和平後退は必須」「和平を望まない強硬派の日本首相」「焦る与党閣僚。野党に主導権を取られたことへの反発か?」と書き立てる。
 追い討ちをかけるように、アメリカは、合意を進めた議員や北朝鮮の政府要人をワシントンに呼んで、勝手に話を進める。日本政府がアメリカに抗議すると、プレッシャーをかけた。
「いい案じゃないか。政府で検討しなさい。いつまでもいがみ合っていても何も解決しないんだから・・・」

 アメリカのパウエル国務長官はこのジュネーブ合意を絶賛しているが、これに対して、オルマート副首相(通産大臣兼任)は、「パウエル長官は間違っている」と指摘した。

 いつかは、双方の歩み寄りが必要である。いつかは、お互いに苦渋の決断を下す日が来る。
 だが、それを待てずに、勝手に「合意」なんてものを取り決めてくることが、どれだけ危険であるか、ちょっと考えれば分かるだろう。普通の会社だって、何の権限も持たない社員が、競合会社の社員と勝手な合意を交わしてきたら、クビになるのは必須ではないか。
 これは単なる試案だと言っても、民間レベルではなく、国会に議席を持つ政党の議員が、その名の下に他国の政府要人と勝手な合意などしてしまったら、あとあとどう影響する?
「あの時、合意したじゃないか。合意した者達は国会議員だった。彼らを止めなかった日本国の責任ともいえる」と、言いがかりを付けられる可能性が、非常に大きい。
 対話対話といいながら、一部の者がその相手と対話しているだけで、身内の意見すら揃っていない。そんなに対話が重要なら、まずは自分の身内と対話して説得してから進めるのが筋ではないか。

 こんなものをまかり通させるとしたら、政府や国の法律に対する冒涜行為である。
 ショー・ビジネスとはよく言ったものだ。


(2003年12月6日 無断転記及び抜粋禁止)



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