「カホール・ラバン」エッセイ集

39. 祈り

「和平交渉をストップするべきだ」
 エルサレムで起きたテロの後、国民の62%(新聞調査)がそう答えたという。

 火曜日夜に起きたエルサレムでの無差別殺人テロは、イスラエル国民を完全に怒らせた。
 ユダヤ教聖地・嘆きの壁での祈りを終え、自宅に向かう宗教者を乗せた2両編成のバスの連結部分で、敬謙なユダヤ宗教者の扮装をしたテロリストは、自らの身体に巻き付けた爆弾を破裂させた。
 テロリストは、ヘブロンに住むイスラム教の宗教者で、モスクで説教をする立場の男だった。

 テロ発生のニュースを聞いたイスラエルの放送局スタッフは、すぐに現場に飛んだ。
 骨組みだけになったバスの周りには、車体やガラス破片が散乱し、壊れた乳母車が転び、無数の救急車と医療スタッフが駆け回り、地面には血だらけの負傷者がうずくまっている。
 繰り返し放送される映像では、婦人が頭から血を流し、抱えられた少女が顔中血まみれで泣きわめき、救急車を待つ男性が道路に寝たままで治療を受けていた。
 一体、なぜこんなことに・・・。

「死者20名。負傷者100人以上」

 翌日の報道では恐るべき数がイスラエル人を震撼させた。
 家族連れが多かったために、連絡のつかない家族の安否確認を取るためにと、親族が病院に詰め掛けて、まさにパニックになっていた。

 ある若い女性は、嘆きの壁で安産を祈り、ある者は、親族のバルミツバ(成人式)に出席していた。ある女性とその子供は、ニューヨークから親族を訪ねて短期滞在を楽しんでいた最中だった。
 帰る家があり、待っている家族がいた。
 
 生まれたばかりの命も、テロリストの爆弾で消えた。
 彼は、自分がイスラエル人であることも、ユダヤ教徒であることも知らず、ただ与えられる母のぬくもりと乳の味しか知らなかった。
 それが母だということも、もちろん、自分を愛する父や家族がいることも知らなかった。
 この世に、人を殺すことしか頭にないテロリストが存在していることも知らず、ようやく光を覚えたばかりのうつろな瞳が最後に見たものは、爆弾の閃光だった。
 
 このテロ実行犯にとっての「祈り」とは、なんだったのだろうか。
 彼は何を神に祈り続けたのだろうか。
「ユダヤ人を殺して下さい」「イスラエルをこの世から消して下さい」・・・
 人に説く立場にあったイスラム教宗教者が、人生の最後にユダヤ教正統派の扮装をし、黒いコートの下に爆弾を装着していることに、何の違和感も背徳心も感じなかったのだろうか。
 ユダヤ人を憎む彼がユダヤ教徒に化け、ユダヤ教徒正統派に囲まれたバスの中で、最後に神に祈ったのは、こんなことだったのか。
「絶対にバレませんように。1人でも多く死にますように・・・」
 
 結局、自治政府はテロ組織を肯定し続けている。
 テロリストを返せ、もっと返せ、と要求ばかりを繰り返す。テロリストの一部を釈放して間もないというのに、未然に阻止されたテロだけでも、既に数十件に上っている。 

 世界がはっきりと言わない限り、パレスチナのテロ組織は永遠に存在し続けるだろう。

 もういいよ、アブマーゼン。あなたが何も出来ないことは初めから分かっていましたから。
 ダハラン。あなたにとっての平和とは、祈りから帰るユダヤ教宗教者を、イスラム教宗教者の手で無差別に殺すことなんですね。 
 アラファトよ。あなたが全てを掌握し、テロの一切を承認していることは、世界中が知るところです。いつになったらテロを止めるかと思っていましたが、三つ子の魂百まで、とはこのことですね。
 

 テロの翌日、元チーフラビのイスラエル・ラウ師は、負傷した被害者を励ますために病院を訪問し、負傷者1人1人のベッドを訪れては励まし、瀕死の幼児の小さな足をさすり「生きよ」と祈った。

 ラウ師の慈愛に満ちた瞳は、死者を追悼するろうそくの優しい光に似ていた。

 
(2003年8月23日−無断転記および抜粋禁止)

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