「カホール・ラバン」エッセイ集

38. 道とフェンスとテロリスト

 静かなる罠−。
 現在のパレスチナ情勢をこう揶揄する人がいる。
 アブマーゼン(アッバス)首相は何の努力もしていない。パレスチナの各テロ団体は解体していない。なのに、テロは起きていない。アブマーゼンは渡米し、にこやかなムードでブッシュ大統領と会談を行なった。
 静かすぎる。その静けさの中に何があるのか?
 現在彼らが要求しているのは、イスラエルが収監している囚人の解放。そしてイスラエルが建設中のパレスチナとのフェンス工事を中止・撤廃すること・・・。


「パレスチナ人受刑者の釈放」に関しては、イスラエルの閣議で激論が繰り広げられたが、結果として、約540人においては釈放が認められた。「その手が血まみれになっていない者」、すなわち無差別テロや殺害などに関与していない者たちだけ、である。モファズ国防相はこれを「苦しい決断」と言った。テロリスト逮捕のためにどれだけの苦労があったことか。傷つき、命を落とした兵士もいる。だが、せっかく逮捕したテロリストを「和平の名の下に」釈放しなければならないのだ。
 パレスチナ側は、全囚人の釈放を要求しているのだが、その数、なんと6000人。
 アブマーゼンは、全員が釈放されなければ各テロ団体を説得できないし、テロを防ぐことは出来ない、と食い下がり、一時は「イスラエルが応じないなら私は辞任する」とまで言った。殺人者が釈放されないことで一国(まだ国ではないが)の首相が辞任を示唆したのだ。
「せっかくアメリカが押し上げた穏健派の首相だぞ。私がいなくなったら対話相手というのがいなくなってしまう。それでもいいのか? 首相不在だと対話が止まるんだぞ」
 いやはや恐ろしい。前代未聞の恐喝だ。

 さらに、アブマーゼンは、アメリカやイスラエルの要求を拒否して、パレスチナの各テロ団体に対しての弾圧や解体要求をしないことを公約している。それなのに、一人残らずテロリストを解放せよ、というのだ。
 テロ団体を存続させ、テロリストを解放したら、一体なにが起きるのか、容易に想像できるだろう。
 第一、テロを放棄するならば、テロ組織は何のために存続するというのか?
 テロ組織の存続しているパレスチナに、テロリストが戻ったら、何が待ち受けているだろうか。
 アブマーゼンは、テロリスト全員の措置に関して、何の公言もしていない。
 尤も、もし彼が「パレスチナの法に基づいて措置し、罪が確定したらパレスチナの刑務所に収容する」といった所で、何の信用も出来ないが。

 ところが。アメリカはハマスに関しては「福祉部門の継続ならば可能」という譲歩を見せた。
 今年の夏も、パレスチナ各地では、テロ団体主催によるサマーキャンプが開催されており、パレスチナの子供たちが、元気に武器の使い方や戦術を習っている。子供向けのパンフレットには、自爆テロで死んだテロリスト達のイラストが入っている。ハマスなどのテロ組織は、こうやって児童福祉を装って貧民層の子供達を手なずけ、未来のテロリストを養成し続けてきた。
 福祉部門。聞こえは大変よろしい。しかし、その実態はこれなのだ。
 シャロン首相は、先のヨーロッパ訪問において、パレスチナ内での福祉活動を活発に行なうようにとEUに要請した。それによって、パレスチナテロ組織による福祉活動を低迷させることが目的なのだが、EUがそれをまともに取り上げる可能性は極度に少ない。パレスチナの子供が事件に巻き込まれたりすると、真っ先に反応してイスラエルを非難するくせに。

 以前のエッセイにも書いたが、子供が本物の武器を手にして使い方を習うというだけでも異常なのだ。
 本当に、パレスチナには銃器が蔓延している。日本の皆さんも、テレビで報道されたパレスチナのデモ行進などで見たことがあるだろう。イスラエルから盗んだり、不法密輸した大量の銃。誇らしげに体に巻き付けたマシンガンの薬莢、手榴弾、テロの時に使用する爆弾ベルトなど。それ以外にも、アジトとなっている民家には想像を絶するほどの銃器や爆弾の原材料がある・・・。
 アブマーゼンは、国民に広く行き渡った銃器に関して、「買い上げ」を示唆する発言をしたことがあるが、その後、取り締まりの動きはない。
 想像するだけ恐ろしい。一般市民が何の登録もないまま銃や手榴弾などを持っているというのは、隣国イスラエルにとってももちろんだが、街の治安上、危険極まりないのではないか。
 たとえばイスラエルにおいては、免許・登録制で国民の銃所持が認められている。毎年毎年、免許を更新せねばならず、その時に、所有する銃や弾丸の数、使用した場合は目的・回数などを厳しくチェックされ、記録される。不正に使ったとなれば免停どころか、法的に裁かれる。
 どうだろう。自治政府に、このくらい徹底する準備があると思えるだろうか。


 もう一つの問題が、「フェンス工事」だ。
「ロードマップを進める上に、フェンスを作るのは不適切」と、ブッシュ大統領はアブマーゼンに同調した。双方の信頼関係を保つ上で、フェンスはふさわしくないらしい。
 先日、シャロン首相は演説においては、「フェンス作りは続行する」と明言した。国会でもフェンス建設のための追加予算が認証された。
 世界はこれを聞いてまた言うだろう。「強硬派」「和平反対派」。

 渡米したシャロン首相とブッシュ大統領の会談で、こんな会話が交わされたそうだ。
「大統領、あなたは『メキシコがテキサスに侵入してきてパレスチナのようなテロをやったら、1時間で彼らを消す』と言いましたね」
「いや、1時間ではない。30分です」とブッシュ。
「フェンス建設は、イスラエル領内でのテロをなくすことが目的です」とシャロン。
「それは違う。テロを抑制することはできても、なくすことは不可能です」とブッシュ。
 シャロン首相は言った。
「大統領、パレスチナ人とメキシコ人を交換しますか。それなら、私はフェンス建設を中止しますよ」

 ロードvsフェンスという抽象的概念で考えれば、まるで道を塞ぐ障害のように見える。
 だが、世界中を探しても、大陸続きで国境線が平面上でありながら、フェンスがない国がどのくらいあるのだろうか? それとも、フェンスで仕切ったら、両国間に国交がないとでもいうのだろうか?
 もちろん、全面的に塞いでいるのではない。イスラエル領内に入る許可を持つパレスチナ人は、チェックポイントを通過すれば入ることができる。チェックポイントを通らずに、スキを狙って入り込む者は、目的が何にせよ不法侵入者である。その不法侵入者をどう取り締まるのか? 5メートル間隔でイスラエル兵士を24時間立たせよ、とでもいうのか。それとも、パレスチナ側が同じことをするのか?
 第一、和平ロードマップとは、平和を目指して進んでいく道ではあっても、双方が行ったり来たりするのではなく、「イスラエルはイスラエルの道」「パレスチナはパレスチナの道」をそれぞれが進んでいくことが前提で、フェンスは道の前に立ち塞がっているのではない。コースから外れないように道の横に作っているのだ。
 フェンスが以前の国境線よりもパレスチナ側に入り込んでいるということでも批判の声もあるが、自然地形上、建設が不可能な場所だったり、土地の所有権問題が絡んでいたりする。何もない場所でない限り、地図上の線に合わせてフェンスを建設することなど不可能である。


 テロリストを返せ。フェンスも取り外せ。
 交渉はそんなに甘くない。そんなにフェンスを壊せというなら、まずはテロ組織を解体して、テロリストを裁き、一般市民が所有する銃器を取り上げ、しっかりとした政府組織を作ってからにするべきた。


 さて先日、とてもよい法案が決定した。
 イスラエル人と結婚するパレスチナ人には、イスラエルの在住権を与えない、という法律である。
 通常、イスラエル人と結婚した外国人は、在住権を入手でき、国民と同等の権利が得られる。
 在住権を持っていれば、パレスチナ領内に住むパレスチナ人でも合法的にイスラエル領内に入ることができ、近年のテロはこうした在住権所有者によって手引きされていたのだ。
 こうした手段を用いるために、ここ2〜3年で、イスラエル人と結婚するパレスチナ人が激増していた。ここでいうイスラエル人は主にアラブ系であり、なんとイスラエル領土に住んでいない者(つまり、パレスチナ領内で暮らしている)がかなり含まれていた。
 これまで、犯罪幇助が明白となった者の場合は、在住権を無効するなどの措置が取られてきたが、それでは事後処理であり、何の意味もない。そこで「在住権を与えない」という法律が完成した。

「パレスチナ人が可哀相だ。イスラエル人と結婚したのにイスラエルの在住権を認めないなんて」
 とんでもない! 自治政府はパレスチナ人に自治政府市民としての国籍を発行しているのだし、和平が成立すれば、パレスチナという国ができる。
「パレスチナの独立を認めよ!」「パレスチナ建国!」と叫び続けて、その主張を全世界にアピールするために、「聖戦」と称してイスラエル各地で殺人テロを起こしたのではないか。
 もうすぐ自分達の国が出来るのに、何を今さら、イスラエルの在住権が必要なのだろう?
 それとも、「国としての制度がしっかりしているイスラエルに住んだ方がマシ」というなら、また別の話になってしまうが。

(2003年8月2日)


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